10月18日 成田〜香港〜広州


成田空港のペタジーニ夫妻
大行程走破 予定は未定、移動には困難がつきものだ

 旅の幕開けは限界ともいえる早起きとともに訪れた。横浜在住の我々にすれば成田は小旅行の果てになるような遠隔の地であり、10時に離陸となると5時起きは必須だ。6時に横浜駅、絶対に遅刻するなという言い付けを守って暗がりの中を出発した。横須賀線に乗って船橋へ行き、そこで京急線に乗り換える。船橋からの京急線は下り方向にも関わらず通勤通学客でごった返していた。結局成田空港までほとんど座れず、雨模様も加わりそれはまずもって不調な出だしと言えた。

 8時半に成田空港に到着する。他はそれほど混雑はしていなかったにもかかわらず我らがHISのカウンターは人だらけで、安旅行であるがゆえのさりげない迫害をさっそく受ける。やっとこさ航空券をもらうと、またも目の前には人だかり。だがそれは行列の類ではなく、中心にそびえたつヤクルトのロベルト・ペタジーニに報道陣と物見高い一般人が群がっていたのだ。いろいろな意味で有名なオルガ夫人と腕組みしながら報道陣のインタビューに答えていた。僕はと言えば、割ってはいれるほどのスペースもなく遠巻きに写真をとるだけだった。何せ度々巨人に苦汁をなめさせてきたペタだ、そうそう興奮してたまるかというG党の意地である。その後、売店で中国語会話集などを買い機内へ。いよいよ本格的に旅が始まろうとしている。

 いろいろな期待をもって入り込んだ全日空機であったが、下界が厚ぼったい曇り空な上に機内食がシンプルなカレーでは面白くない。アクシデントもなくネタ不足のうちに香港に到着した。香港の空港は見たこともない言語で溢れているわけでもないしこれといった感動はない。 レートが不利と言われる空港の両替所で最小限の円を香港ドルに交換して、なにやら市内に行きそうな電車があったのでよく考えもせずにそれに乗った。1人100ドル。電車に乗ってから換算して気がついたのだが、約1600円だ。乗ったのはたかだか20分。成田エクスプレスのような高級列車に乗ってしまったに違い ない。貧乏旅行にはおよそ不釣合いな代物である。結果、想像を絶する優雅さで九龍に着いた。ガイドブックによるとここから広州行きの電車が出ているようなのだ。しかし、どうにもそれらしいものが見当たらない。どうやら電車が出ているのは「九龍駅」ではなくて「九龍塘駅」のよう である。早速ミスを犯したわけだが、地図を見ると広州行きの電車が出ている別のターミナル駅までそう遠くない場所にいるようなので、タクシーに頼ることにした。タクシー40ドル、トランク使用量10ドルで50ドル(約800円)。トランク使用量というシステムには仰天した。ここで教訓を得たため、以降タクシーに乗るときは必ずといっていいほど膝の上が賑やかであった。

 駅で広州行きの電車のチケットを探したら、極めて事務的に「NO」と言われた。今日の分はとうの昔に完売したそうな。電車の切符が手に入りにくいのは中国ならではだが、わかっていたとはいえ諦めがつかない。でも明日まで香港にいるわけにはいかない。広州行きのバスを探したら1時間後のバスに空席を見つけた。電車よりも2時間近く余計にかかるらしいが他に手はない。120ドル(約2000円)でチケットを購入し、勇んでバス停に向かった。バスは狭くお世辞にも乗り心地がよいとは言えないが、広州へ向かってくれるだけで満足するほかなかった。バスには乗り心地以上に難点があった。香港の雑踏のなかで突然止まり、駆り立てられるように別のバスに乗り換えさせられる。次も同じような狭いバスだ。さらに「国境」で2度の手続きのためにまたも下車を命じられる。中国人たちは事もなげに手続きを終えるが、外国人用の窓口には長蛇の列。手続きの中身が全く違うらしい。どうやら香港はまだ現実的な返還には至っていないようである。実際の走行時間は3時間ほどであったが、結局広州まで5時間かかった。本来ならこの日のうちに成都に飛びたかったが、ここで5時間も費やしては望むべくもない。

 広州についたが時刻は21時をまわっている。同行者のR君は今日中に明日の成都行き航空券を確保したいと主張し、僕は早く飯が食いたいと主張する。だが次の行動に出るより前に、スコールのような大雨が降り始めた。それでもなお近くの旅行会社に行きたいと主張するR君だったが、用意周到に傘を持っているほど僕は気が利く人間ではないし、それに香港ドルは持っていても我々は中国元を1銭も持っていないからタクシーにも乗れない。そこで、傘をもっているR君がとりあえずクレジットカードで中国元を引き出すことにした。そうして元を手に入れたが、なおも僕には傘がない。だが、外に目をやると傘売りのオバサンが突然の書き入れ時にここぞとばかりに古びた折り畳み傘を売っている。すばやく購入、10元(約160円)。中古傘にしてはいい値だ。ちなみにその直後、オバサンが警官にどつかれていた。この国の警官の態度はどうかと思うが、違法行為をしている以上仕方ないといえば仕方ない。誰が見たってあのおばさんの商売は違法だったのだ。兎にも角にも僕も傘を手にいれたので機動力がアップし外に出る。ホテル斡旋の男が数多く寄って来て最安値は2人で250元(約4000円)を提示されたが、高いと感じたのでどれもこれもつっけんどんにあしらった。

 さて、どうしたものかと雨宿りをしながら途方に暮れていたら、日本語を勉強しているという同い年くらいの女の子がいて、しばらく通訳兼雑談相手として大いに助けてもらった。日本語を喋れるというだけであれほどに好感をもってしまうものなのか、冷静さを取り戻してから考えると空恐ろしい気もする。調子に乗って大いに助けてもらおうと思ったが、結局この子にも僕らがとるべき手段まではわからぬということであまり実質的な助けにはならなかった。しかし、久々にR君以外と交わしたまともなコミュニケーションのおかげで、未知の地・中国にいるということから発せられる一時的な蒙昧状態からは解き放たれたような気がする。

 大雨により、道には所々に深い水溜りができている。しかもこの国の道路にはろくに横断歩道がなく、みんな横柄な態度で車道を横切っていく。分離帯で立ち止まる歩行者などいくらでもいるのだ。雨と水浸しの足元と暗闇と繁多な交通量に我々は辟易して、とりあえず宿を見つけることにした。ガイドブックにあった2人で100元ちょっとで泊まれるユースホステルを目指す。地図によると地下鉄の駅が近くにあるようなのでそれを探すが、それらしきものがどこにもない。おかしいと思って地図をじっくり見るとその駅はなんと建設中ではないか。しかたがないので今度はバスを探す。でも不親切なこの国の道の情報量ではどのバスがどこに行くのかわかったもんではない。よってやむなく通り沿いに歩いてタクシーを探し、15分ほどたって漸くつかまえた。このようにタクシーまで使ってかなり時間をかけていったユースホステルであったが、この時期の広州はなんだかよくわからないが特別な期間らしく一般にホテルの値段が高騰しているらしい。2人で380元(約6000円)とか。ありえない。何のためにここまで来たのかこれでは全くわからない。しかし我々にはそれ以上動く体力が残されておらず、甘んじてここに落ち着くことにした。幸いにして英語もなんとか通じるし、ここで飛行機のチケットも手配してくれることになったからその分の手数料と思うしかない。通貨もしっかり交換してやっと夕食。早速中華料理だ。炒飯やホイコーローといった日本でも馴染みの中華料理から攻めた。しっかりと食べたが1人当たり20元(約300円)ほど。

 そのころにはすっかり雨もあがっていたので少し散歩。川べりのベンチには何組かのカップルがいて、山下公園と大して変わらぬ風を呈していた。ちっとも中国らしくない。たいして面白くもないし疲れていたので、宿に帰って青島麦酒を飲んで睡眠。値段の立派さのわりに大したことのない宿だったがゆっくり眠るには充分だった。