シェムリアップ
アンコールワットから10kmもないところにある小さな町・シェムリアップはアンコール観光における拠点となる町として一定の発展を見せてきた。ある意味、門前町的な成り立ちを背景としてもっている。だがアンコールを宗教的な意味合いで詣でる人は殆どいないので、町そのものも殆ど宗教性を帯びていない。旅行者にとって都合のいい施設が立ち並ぶだけだ。
カンボジアには目立った産業がなくアンコール遺跡は国家財政を支える大黒柱であるため、治安低下による観光収入の減少は致命傷になりかねない。ゆえに辻ごとに警官が日暮らし睨みをきかせている。だから治安はよい。そもそも警官が信用できないという指摘もあるが、それでも警官以外の悪党の行動は多少なりとも制限されるであろう。この町の治安のよさは肌で感じられる
。
ただ、自転車もバイクも借りられるが道から少し外れただけでも地雷のリスクはゼロではなくなるとガイドブックはいう。この治安が急造されたものであることをそんなところからも感じ取ることができる。アンコール遺跡群が散らばっていることもあり、バイタクを1日単位でチャーターして各遺跡をまわるのが一般的な手段となる。
そのせいで、町のいたるところでバイタクから声がかかる。バイタク側の魂胆はこうだ。旅行者に声をかけてタダ同然で一度乗っけてやり、着いたところで「明日の予定は?アンコールに行くならオレを雇わないか?」という話にもっていく。そうすれば不案内な旅行者は他にあてがないからその話に乗る。当の僕もそのパターンで頼んだ。1日で6〜7ドルの収入になるのでバイタクとしては町を流すよりはるかに合理的なのだ。何せこの町は大した規模もなく、バイクに乗らなきゃいけないほどの市内移動の機会は滅多にない。
その小さな町から離れてみるべく、自転車を借りてアンコール遺跡と反対の南側に向かって30分ほど走った。上にも書いたが舗装された道から離れることに不安があるのでひたすらにメインストリートを南下すると、沿道の風景はみるみるうちに牧歌的になり、半裸の少年や放し飼い同然の家畜が力を抜いて暮らしている。子供たちは好奇の目ではなく親愛の目で僕に笑顔を向けてくれる。カンボジアの原風景に一歩近づけた気がした。
食事
シェムリアップには4泊したが初日の晩は食べてないので三度夕食の機会があった。
第一食、バンテアイ・スレイという料理屋にて。ガイドブックにある名物料理を頼もうと思ったらそれらしきものがメニューにない。ガイドブックに文字や写真があるのでそれがジェスチャー会話の大いなる助けとなる。「これだ、これ」と強調するとわかってくれたようで無事にそのFish Banteay Fireがやってきた。「地元で獲れる魚を発酵させて野菜と一緒に食べる」と紹介されている。地元ではかなり知られているそうだ。店は立派だがそれでも台所は屋外。そこがカンボジア。4ドル。
第二食。日本人が集う宿の食堂で日本風カレー。とはいっても一晩おいてくれるはずもなく、レトルトカレーを無造作にぶっかけるだけだ。潔いことにメニューにも「レトルトである」と明記してあったがそれでも食べたいものは食べたい。2ドル。さあ、きたきた。一口目は懐かしい味わいだった。だが、それまでだった。米が合わない。日本のカレーとは日本米の粘性に適合するべく編み出された技であり、それをインディカ米にかけてもダメなのだ。機会があれば試してみるといいと思う。びっくりすること疑いなし。
第三食。日本人が5人くらい集まって日本の飲み会の様相を呈する。昼間のようないかつい暑さではないが夜も水シャワーが心地よいほど暑くまさに熱帯夜である。当然、ビールがうまい。調子に乗って酒ばかり飲んでいた。アンコールビールとバイヨンビールが当地のメジャーブランドのようだ。安易なネーミングには思わず笑ってしまう。建築学を学ぶ人のアンコール論を肴にこの晩はドロドロであった。
シェムリアップの雑記
・サイクリングをしていると同じく自転車に乗った子供がくっついてきて声をかけてきた。見るからに育ちがよい。受けている教育も違うのか、英語が流暢である。「How are you?」と聞かれるも、その子に「体調は万全ではない」と訴えてもしかたないので「Fine, thanks. And you?」と教科書を読んでいるかのような返答をした。すると「Um, so so」と。ぬぅ、小賢しい。
・フランスに支配されていた歴史を持つだけあってカンボジアにはフランスパンを売る店が多い。朝食に軽食に非常にありがたかった。パンの美味さは材料よりも焼き上がりと焼いてからの時間によるところが大きい。
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