魅惑の船旅
居心地のよかったシェムリアップの次の町にバッタンバンを選んだ。二つの町の間には東南アジア最大の湖であるトンレサップ湖が横たわっているのでボートで移動する。
湖上の水運業はさほど盛んではないようだが、湖上における生活はあちこちで見られる。そこの人々がのどかな日々を心がけているわけではなかろうが、僕の目から見ると骨の髄までのどかに一日を過ごしているようだった。我々の大型ボートがはた迷惑な轟音をたてているそばで、音らしい音も立てず控えめに湖上にたたずむボートには一種の風雅すら見てとれる。この湖は風雅の巣窟に思えた。
しばらくするとトンレサップ湖に流れ込むサンケイ川に入る。かなり幅の広い川だが蛇行しているためカーブに差し掛かるたびに船体が大きく傾く。船内の窮屈な座席にうんざりして僕は船の屋上であぐらをかいていたのだが、傾くたびに慌てて左右の尻で微妙な体重移動をしていた。僕が尻で操作したところでひっくり返る時はひっくり返るのだろうが、体重移動をしないことには落ち着いて座っていられない。
もともとこの国は地理的に見ても太陽の恵みに満ち溢れている。そのため、両岸がまばゆいばかりの緑に染められている。戦乱や過伐採の影響で寒々しいほどに疎林が多いカンボジアにあっては文字通り異色の鮮やかさである。アンコール遺跡ですらどこか暗い歴史の影を隠しきれていない印象があったが、この一帯には温かい桃源的な光が射していた。
我々の船は50人くらい収容できる規模のもので、湖であれ川であれそのサイズに匹敵する船を他に見ることはなかった。それだけに、航行しているだけで川岸で生活する人々から注目を浴びる。特に子供たちは1日1度の「大型船」に心を躍らせ、我々のほうに向かって「ハロー」と手を振ってくる。乗客も心が洗われるような思いがして楽しげに手を振り返す。何て心温まる旅物語なのだろう、としみじみ思う。
ところが、子供たちにとっては1日1度だが、我々は行く先々で手を振られるのでだんだん飽きてくる。だんだん面倒になってくる。だんだん子供の歓声が虚しくこだまするようになる。僕も手を振るのが面倒になった一員でありながら、僕の目にもとても寂しい光景に映った。
その点をわきまえたのかどうかはわからないが、我々の船が近づくと木の上から川に飛び込む子供がいた。手を振る必要もないし見ていて面白いので、その子たちは頗る評判がよかった。
バッタンバン
人口だけでみればカンボジア第2の都市だが、マーケット目当てに周辺の穀倉地帯から人が集まってくるだけの町なので見るべきものがマーケットしかない。ただし確かにマーケットの集客力はすごいものがあった。観光客もいなくはないがほとんどが中継点プラスα程度の位置づけで立ち寄っているに過ぎない。「バッタンバン」なんていう騒々しそうな地名を持ちながら波瀾の一つも呼びようがない町である。
とりあえずマーケットに足を運ぶ。シェムリアップのマーケットと決定的に違うのはみやげ物をほとんど置いていないことだ。食料品と日用品が多く、あと何故か貴金属も多かった。とにかく、変わったものを探す楽しみはあっても商品を吟味する楽しみは全くなかった。
バッタンバン郊外
バッタンバンで泊まった宿にはロビーと言えなくもない空間があり、バイタクの運転手がたむろしている。「何かおもしろいところはないか?」と聞くまでもなく彼らはこの土地の案内をしてくれる。最も英語の堪能な男に頼んでバッタンバン郊外巡りを始めた。
町を出て田園風景の中を20kmくらい走る。「他に広い道があるのだけど日本人はここを通った方が喜ぶんだ」とあぜ道を行くと、どこか雑然としたものを感じさせる田畑が広がり、その中をけだものが悠々と歩いている。牛、豚、馬、そして水牛。水牛があんなに大きくて存在感のある動物だとは知らなかった。ひとかどの力士でも寄りきれないのではなかろうか。
「さあ、着いた」というのでバイクから降り、運転手についていく。彼は非常に気のいい男で「オレは好きでガイドをしているんだ。カンボジアのことを知ってくれるだけでも嬉しいんだ」と言って案内してくれた。着いた先は一つの洞穴だ。「足元に気をつけろよ」と言いながら中に入っていくとそこには無数の人骨が積み重ねられていた。
「クメールルージュの時代にここは収容所として使われていたんだ。これだけの人がここで虐殺された。宗教の違いもない同民族を虐殺した例は世界の歴史を見てもポル・ポトだけだろう。狂気だ」。凄惨な歴史を語り継ぐ頭骨の一つ一つがあまりにも雄弁で、僕自身も触れたこともないような心の深奥な部分に何かが響いた。
帰り道、運転手はすごく機嫌がよかった。「前に日本人の女の子2人を案内したことがあるんだ。なかでも20歳のトモコは本当に素敵な子だった。今でもメールのやりとりをしているよ。いつか日本に行ってトモコが運転する車に乗って旅するのが夢なんだ」。小さい夢に見えて、彼にとっては途方もなく大きな夢なのだ。
バッタンバンの雑記
・6時間に渡る船旅のほとんどを屋上で過ごしたため、激烈な日差しを長時間もろに浴び続けた。こういう日に限ってノースリーブで腕中真っ赤に。僕の旅と同じルートを旅する人がいたらこの点だけは声を大にして警告したい。カンボジアの日差しは恐ろしい。
・動物の鳴き声が聞こえた。その音量は大量虐殺を思わせる凄まじいものだったがその音源はたった一頭の豚だった。ただ、一本の棒に四本の足を縛り付けられて逆さづりにされていた。逆上がりよりも容易な鉄棒の技に「豚の丸焼き」というのがあるがまさにその体勢だ。彼も生命の危機を察知したのだろう。全身を声帯にしたかのような轟音であった。
・バッタンバンからプノンペンに向かうバスに乗った。朝7時に出発して13時に着くバスだったのだが、途中30分の休憩が2度もあった。朝食を済ませて乗って昼食をプノンペンでとるつもりだった僕にはひどく無駄に思えたが、それを除いて考えても2度休憩というのは理解できなかった。カンボジアのバスは一般的に休憩がとても多い。
|