10月21日 成都〜重慶


かばさんのあくび
高速道路は偉大なり 動物園から解放碑まで

 例によって起きるなりシャワーを浴びる。慣れのせいかいい意味で不感症に陥ることができ、あれほど嫌だったのに昨日ほど不快ではなかった。それよりも、半液状のヨーグルトにコーンフレークが入った朝食のほうがよっぽど馴染めなかった。その上に今日は雨模様でなんとなくテンションがあがらなかった。宿の精算をして、荷物を昼まで預かってもらい、一昨日に行き損ねた観光地を巡ることにした。不安定な天候ながらも移動はやっぱり自転車だ。

 詩聖・杜甫が戦火を避けて移り住んだという杜甫草堂は武侯祠に次ぐ有名な観光スポットだけに、ツアーと思しき観光客がとても多い。別にツアーを否定するわけではないのだが、そういうところというのは10中8、9はつまらない。ここは人工的な自然に溢れる庭園で、湿り気を帯びた草木の暗緑色が心地よい散歩を演出してくれることは間違いないようである。だが、はっきりいってそれはこの有名観光スポットにしかありえないものではなかった。知名度頼みで徴収する入場料の30元(約450円)のゆくえが気になるところだ。蛇足だが、園内で時折奇怪な挙動を見せる中国人たちには単純な驚きと妙な趣が感じられた。顕著な例を一つ挙げると、堂内で意味もなく(少なくとも我々には意味がないと見えた)腕をぶんぶん振り回しているオバサンを発見した。10分ほど経過した後にもなお腕を振り回している。それを見て、行為の意味を追究することは合理化された社会の住人しかしないことなのかもしれないと思った。未だ多分に非合理が通用するこの国において行為の意味を考えることは無意味なのであろう。そもそも中国における行為を観察する上での立脚点に修正の必要を感じた。

 次に向かう途上で道端のタバコ屋で一箱のタバコを買う。いかにも四川らしくパンダの絵が箱に描かれていて15元(約200円)もした。明らかに観光用だが、特に吸うつもりもない僕にはそれでよい。自転車なので試しに吸ってみる余裕もないうちに次の目的地である青羊宮に着いた。ここは道教の寺院でありながら観光客の参詣が絶えず独特の雰囲気を持っている。観光地と呼ぶにはあまりに厳かだ。本当かどうかは知らないが老子が青い羊を連れてここに来たことが名前の由来らしい。ここですごく印象的だったのが、門のあたりに体の不自由な人が大いにたむろして恵みを求めていることだ。他のところでも見ないではなかったがここは特別だ。青羊宮が参詣者の病を治すという効験を一つの売りにしているせいだろうか。貧困との二重苦をまざまざと見せつける、凄惨といわざるを得ない光景が広がる。ショックだった。あまりにそれが大きかったので、ショックをその場しのぎ的に取り払いたくなり、気分を変えようとさっき手に入れたタバコを試してみた。タバコをくわえる中国人の前で、火のついていないタバコをくわえてライターに火を点す仕草をしたらすぐにわかってくれてライターを貸してくれた。慣れないタバコの味は、特にうまくもまずくもなかった。でも、ショックはひとまず凌ぐことができた。

 これまではいずれも食事が遅くなりがちであったが、今日は正午前から昼食をとることになった。今日中に重慶に移動することを考えても、これは当然の判断であろう。しかもこれが本格的な四川料理を食べる最後のチャンスと言えよう。そこで、少々贅沢と思えたが、青羊園にほど近いちょっとした威風のある料理屋に入ることにした。いささか昼には早かったせいか、それとも付近に取り壊し中の店が多いせいか、店はとても空いていてチャイナドレスのお姉さんが退屈そうに店先を掃き掃除していた。店に入ると、他に仕事がなかったせいか予想だにせぬ店員の歓待を受けた。ものすごく高い店に入ってしまったか?とも思ったがメニューを見ると1人1000円に達するとは到底思えなかったので安堵の胸を撫で下ろした。一番うまかったのは得体の知れぬ小魚の鍋物だった。例によって「あまり辛くするな」というメッセージを伝えたのだがあまり効果がなかったのか、それとも日常的な辛さが尋常じゃないのかわからないがまだまだ辛かった。でも、「辛ければこれをかければよい」と酢を出してくれた。これがさながら魔法の液のごとく効き、僕流ではあるものの四川料理を楽しんだ。

 そんなこんなで店員にいろいろ世話になっているうちに「ニークイシン(=名前は?)」から雑談が始まる。筆談がかなり重きを占める会話であったが思いのほか意思疎通が上手くいき、あれこれ話を進めるうちに「日本語を教えて欲しい」と言われた。教えるのは構わないのだが、漢字で読み方を伝えるのは大変難しい。例えば「平林」という名前の読み方を説明するにも「ひ」の音が中国で何に当たるのかわからない。他の字とて、「ら」は「了」、「ば」は「把」、「や」は「呀」、「し」は「是」というふうに説明するしかないのだ。自分の名前を説明するにも悪戦苦闘するというのに、「『どんな種類の魚がお好みですか?』の日本語を教えて欲しい」などといわれても途方にくれてしまう。だが、5分くらい苦戦した末にいろいろな字を組み合わせて説明しきった。自分のメモを見てその業績に誇らしさを覚えたが、店員が「その紙をくれ」と。まあ、当たり前といえば当たり前なのだがちょっと辛かった。記念に持ち帰りたかったのに。でもいつかきっとあの店員の口から「どんな魚がいい?」という片言のフレーズが発せられることだろう。それが僕の記念だ。

 その店員が「成都動物園はタクシーで行くべきだろう」というので、宿に自転車を返してタクシーに乗る。動物園もまた閑散としていた。僕は昔から動物があまり好きでないから動物園などどうでもよかったのだが、R君にすれば「四川と言えばパンダ」らしい。彼には「四川と言えば…」が実に多い。これまた安くない入場料を払って入る。肝心のジャイアントパンダは、居ることは居るのだがサービス精神というか見られている自覚というかそういったものが全くない。相当甘やかされているのだろうな。逆に、レッサーパンダのかわいらしいこと。いつだかの凶悪事件以来、レッサーパンダのイメージが日本では今ひとつパッとしないが、凶暴性を排除できれば飼ってもいいとすら思う。他にも、トラ、ゴリラ、カバ、ヒツジ、サルなど、幼稚園児が簡単に思いつく程度の動物はどれもいた。最後にサル山のボスを見てやたらと「社会学」してしまったが、よく考えればこれらすべて上野動物園でだってできただろう。

 その後、重慶行きのバス乗り場までもまたタクシーに乗ったが、どういうわけか抗いがたい睡魔に襲われ、たかだか十数分なのに深淵へと通ずる眠りについた。同乗者がいなければぼったくられても文句を言えないところだった。重慶までのバスは利用者が多いようで極端に頻繁に出ている。成都と重慶が繋がっていなかったらどちらも、特に成都は文字通り陸の孤島であろう。重慶まで4時間で100元(約1600円)とやや割高な気もしたが、成都を発つや否や高速道路に乗り、重慶までほとんど100km/h以上で走りっぱなす。時間効率を考えれば100元はちっとも高くなかった。夜めいてきた頃に重慶に到着。前の男の極端なリクライニングを除けば文句のつけようがなかった。到着した小汚いバスターミナルは地図によると市街までまだまだ遠かったが、バスから早く降りろと促されたので仕方なく下車する。バス停のそばのトイレに入っていると、若い女性がずかずかと入ってきてあーだこーだと喚く。何事かと動揺したが、どうやらこのトイレは使用料を取られるらしく、オマエはそれをはらっていないじゃないかという叱責をしているらしい。別に用を足している最中に怒ることはないだろうと思うのだが。5角(約8円)を払うと、不敵にして満足げな笑顔を見せて男子便所から去って行った。

 重慶市街は中心に解放碑が建っているのでタクシーに指示が出しやすい。それに「解放」は「ジィエファン」と読むと授業で習っているのだ。タクシーは一目散にそこを目指してくれた。が、解放碑のそばのどでかいホテルに勝手に止まり「荷物を下ろしましょう」らしきことを言う。様子をうかがうと、どうやら慇懃なホテルのボーイとタクシー運転手は裏で手を握っているようである。「とにかく解放碑が見たいから」という素振りで勧誘をかわした。すぐに解放碑についた。たまたま夜だっただけなのだが、ライトアップされた解放碑は闇に神々しく浮かび、周囲の建物の安っぽい光とは一味違う迫力を感じた。放射状に広がるこの街のすべてがまるで解放碑を称えるようであった。しかしながら、この付近に安ホテルがあるとは到底思えず、まずは解放碑を避けるように動くことにした。

 市街の端くらいのところに着くと、我々の旅行とはどう考えても無縁と思われる大ホテルの前に「感謝」とか「特価」みたいな単語が並ぶ看板が出されていた。ツインで180元。昨日まで倹約したんだから、1人1500円くらいならここに泊まってゆっくり休もうということで一致し、交渉に入る。そとの看板に間違いがないことを確認してサインすると、400元(約6400円)よこせと言ってくる。意味がわからず、会話集から「英語のできる人を連れてきてくれ」というフレーズを探して言ってみたが、そんなのいるわけがないという顔をして一蹴される。当を得ないままじっくり話し合っていると、220という数字がしきりに出てきていることに気づいた。そこで「明日の朝、あなたは我々に220元くれるのか?」という基本会話に近いレベルのことを中国語で尋ねると「対」。なるほど220元はデポジットだったわけだ。万事納得して部屋に入る。そこは日本でもこれほどのホテルにはなかなか泊まれないと思われる贅沢ホテルであった。重慶の1万分の1の地図にもその「金鴻大酒店」という名が記してある。平時の値段は今日の倍では済まないのではないだろうか。

 安堵に身を任せ、外に出て食事をしようと歩き回る。そこでふと思い出したのが一昨日の旅行代理店での約束だ。「重慶に着いたらうちの重慶支店に電話してくれ」。ホテルから架けたら高そうだったので外の公衆電話から架けることにした。しかし、夜の街歩きではテレフォンカードを売っているような店が見つからない。硬貨で架けられる電話もあるそうなのだが一向にそういう電話に出会わない。やむなくホテルの電話を使うことにしてひとまず食事にした。何ともいえない影がさす料理屋で他の客も見当たらなかったが、日頃あまり好きでないセロリの炒めものがなかなかの美味であった。ただ、何と言っても魚臭さ満載の雑魚料理が最もよかった。おかげで、ある種の怖いもの見たさで飲んだ三蛇酒も進む。ハブ・マムシ・コブラの三種類の蛇を用いてつくるスタミナ酒とのことだが、漲るスタミナを感じることもなく、かなりの酔いに支配されてホテルに戻った。電話をしなくてはならないことはもちろん覚えていたが、「明日、明日」と蹴飛ばして久々のきれいなベッドと夢心地の酔いに包まれて眠りについた。