ビザ
カンボジア入国にはビザが必要だ。日本で取ってこなかった僕はバンコクのカンボジア大使館か国境で取得することになる。だが、やや不穏の噂がある国境で面倒なことはしたくなかったので20日午前10時に大使館を訪ねた。
昼過ぎにはバンコクを出て国境で一泊するつもりで朝早く行ったが、大使館の係員は「4時半に取りに来い」と無愛想に告げた。その一言で予定が半日狂う。時間の使い道に途方を失った。その様子を察してか、バンコクの旅行代理店の店員が僕に近づいてきた。「ちょっと握らせれば早く受け取れるぞ」。ツアー客のビザをまとめて申請しているという彼も少し包んだらしい。
100B(約280円)で2時には受け取れるそうだ。ただ、こんなところで微々たる金を惜しんで正義感の充実を体感するつもりなどないが、微々たる金を惜しむ吝嗇家ではあった。
大使館の態度が僕のカンボジアに対するかすかな信用を根こそぎ奪い去ったことは言うまでもない。
とりあえず国境へ行かないと何もはじまらない
国境の町アランヤプラテートはバンコクから一本の鉄道で結ばれているが、6時間近くかかる上に1日に2本しか列車が走っていない。かつてはカンボジアまで国際列車が運行していたなどの点からいってもインドシナ交通の基幹だったはずだが、バスの普及やカンボジア鉄道の衰退により、今やその存在意義は危機に瀕しているといっても過言ではない。
また列車の時刻が悪い。朝6時にバンコクを発つのである。4時半に起きて5時に宿を出る強行軍、自ずと注意散漫にもなるというものだ。外はまだ暗い。空を見上げれば痩身の月光がバンコクのネオンに飲み込まれそうになっている。タイ入国の日は満月だったな。
歩みの鈍いことを除けば移動はそつなくこなすことができ、正午頃には国境に差し掛かっていた。そこにあったもの。その現象は想像ができたが、その数量は想像が遠く及ばなかった。前後左右には国境を商売道具にする人々の層ができていた。かき分けてもかき分けても人がいる。
打たれていた布石
国境に生きる人々の稼ぎ方はわかりやすい。国境でビザを取得する人を見つけては「代わりに手続きをしてやる」と言っていつの間にかコミッションを巻き上げるのが一つ。そして、カンボジア側のトラックを紹介することでコミッションを巻き上げるのがもう一つ。
そういう2段構えなので「オレはビザを持っている」と怒鳴っても「なら車だ、ついて来い」と頼んでもいないのに世話を焼く。「うるさい、今はとにかく飯だ
!」と振り払って飯屋で腰を下ろすとだいぶ人数は絞られた。が、呪うべき根性の持ち主2名が対面に座る。飯の味も分からぬくらい辟易した。食事が終わると「おい、早くいくぞ」。急かされる理由を全ての可能性を排除せずに考えたが、何一つ思い浮かばなかった。
その2名のうちの1名はどうしたわけか楽々国境を越えることができる。僕が手続きを経て国境を越える頃にはカンボジア側で目をぎらつかせていた。背筋が寒くなった。
確認しておくと、ここまで彼には何一つ依頼をしていない。彼を全く信用していない。こちらから口をきくこともない。それでも彼はこういう。「いいか、オレ以外の誰も信用するな。わきめも振らずにオレについて来い」。不思議なもので、そして不覚なことに、
気がついた時には洗脳に近い形でしだいに彼の後を追うようになっていた。何と言っても、彼は未知の国カンボジアにおける唯一の「知己」なのだ。
意志に反して導かれた先には国境から町への移動を担うトラックが待っていた。荷台に人が乗っている。「さあこれに乗れ」。もう逆らう気力はなかった。
荷台に17人集まった頃ようやく出発準備に入った。すると例の男が「tip,
tip」とうるさい。実際世話になろうという意志がなかったのでチップを渡す義務はないと思ったが、恩を感じないでもなかったので少しだけ渡しておいた。それに続きトラックの運転手が「運賃をよこせ」と言う。信用しているわけではなかったので「着いたら渡す」と突っぱねるつもりだったが「半額でいいからくれ。現金がないと通行料が払えない」。半分渡した。
このトラックに載せられた。財布を一度皆の前で見せた。後から思えば、この時点で僕の負けだった。
カンボジアへの道の雑記
・大使館で賄賂をつかませた男は旅行業に関わっているためにビザの申請になれている。「なんと面倒なことか」と僕が嘆くと彼は「日本のビザ発給に比べれば楽なもんだ。どうにかならないか」と愚痴をこぼした。
・国境を越えると前方から勇ましい男が近づいてきた。警官のようだ。どうやら僕に照準を合わせている。「You have a
problem!」威丈高に言う。ところがどうもおかしいというのがなぜか分かる。そういうオーラが出ている。それに、これ見よがしに見せてくる「警官証」の陳腐なこと。偽警官なら偽警官なりにもう少し努力を払って欲しいものだ。
笑ってしまった。
・トラックで料金先払いを要求されたのは考えてみれば僕だけだった。他の乗客はすべて地元民だから仕方ないと思っていたが、通行料のための現金なら地元民からでも取れたわけだ。そこに気づくべきだったのか。
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